未来の祀り・ふくしま ゆるゆるフィールドワークノート その1

「未来の祀り・ふくしま 2015」開催まで、あと2か月ほどになってきました。

「震災」「鎮魂」「芸能」「祀り」……これらのキーワードがどう結びついてくるのか?

イベント本番にむけた予習的フィールドワークにお付き合いください。(及川俊哉)

さて、それでは、今回のイベント「未来の祀り・ふくしま 2015」の3日目(8月23日)のメイン会場となる福島稲荷神社を実際に訪ねてみましょう。

 

JR福島駅を東口から出て、市内の中心に向けて歩いていきます。文化通りを抜けて県庁通りにぶつかると、福島稲荷神社があらわれます。

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(福島稲荷神社入り口 県庁通りから撮影)

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(福島稲荷神社正面 南側から撮影)

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(福島稲荷神社本殿)

本殿に参拝を済ませてから…

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(福島稲荷神社境内「神楽殿」)

 

境内を見渡すと、「神楽殿」が目に入ってきます。

 

福島稲荷神社のような規模の神社には「神楽殿」があります。

毎年の福島稲荷神社の例大祭ではかわいい子供の御神楽の舞などが披露されます。

 

今回のイベントでもこの福島稲荷神社の境内で創作神楽が奉納されますが、

そもそも「神楽」とはどのような意味を持つものなのでしょうか。

ここでは、民俗学者折口信夫の説を参考にしてみましょう。

 

……昔の日本人は、神様が天から下ってくるときには、高い山の木の梢などに降りてくると考えていました。

 

当時、その木は松の木だ、と考える人々が多かった地域では、松はおめでたい木だと考えられるようになりました。

 

そこで、松を切って里まで持ってくることは、神様を木に乗せて大切に運んでくることだと考えられました。これは、お正月の「門松」のはじまりにもなっています。

 

切ってきた松を路上などに建て、その周りで、神様を迎える歌を歌ったりお面をつけて舞を舞ったりしました。

また、こうした舞踊を行う人たち自身が、松の木から降りてきた神様の代理だとも思われていました。

神様が、山からやってきて、里の人々を祝福するしぐさを、歌や舞踊で表現しているのだと考えられていたのです。

舞い手は、お面をつけている間は神様になりきり、面をはずすと人間に戻るのだと信じられていました。

 

「神楽(かぐら)」という言葉は「神座(かみくら)」という言葉からきています。「神座」とは、山の中の大きな岩や、大木など、神様がいる場所と信じられていたものを指します。岩の神座は「磐座(いわくら)」と呼びます。

 

里に運ばれた松の「かみくら」を中心にして行われた歌や舞踊の神事が、「かぐら」になっていったわけです。

 

今でも、能や狂言の舞台は、背景に金地に松を描いたものを立てていますが、これは、松を立てて神様を迎えていたなごりです。

 

里におりてきた神様は、里の人々の願いを聞き、祝福をするためにやってきたわけなので、たとえば、農家の人々のためには、種まきなどの仕草をしたり、豊作を祝う踊りなどをしました。

このように、見物する人々の喜ぶような期待に応えていくうちに、「神楽」は多種多様の「芸能」に分かれていったのです。

 

そして「芸能」が形式化していくにつれて、神事であったことは忘れられていきました。

 

しかし、背景の松がしめしているように能、狂言などの伝統芸能も、よく見ていると、もとをたどれば神事だったなごりをのこしています。

 

おなじように、伝統芸能などとはまったくかけはなれているように見えるいまの歌手やアイドルの「芸能」も、「神楽」から始まった流れをうけついでいます。

 

アイドルや俳優さんなどを神格化してのめり込んでしまうファンの人がいるのは、あんがい、昔の人と共通した心理なのかもしれませんね。

 

この夏の「未来の祀り・ふくしま 2015」では、どんな「神様」が舞台にあらわれてくれるのでしょうか。

(参考文献「日本藝能史序説」折口信夫)

 

〇折口信夫について

折口 信夫(おりくち しのぶ)(1887年(明治20年)~1953年(昭和28年))民俗学者、国文学者、国語学者。『遠野物語』で有名な柳田國男に師事した。「釈迢空(しゃく ちょうくう)」名義で歌人としても活躍した。