「ふくしま未来神楽」に寄せて

福島稲荷神社宮司 丹治 正博

自然への畏れを忘れた日本人

自然への畏れを忘れた民族は滅びると言われています。古来、我が国では「畏れ(おそれ)」こそが祈りの原点であり、神様に祈ることで人間は再び大いなる力を頂き、幾多の困難を克服してきました。皇室の年中行事が厳修され、全国津々浦々で行われている神社の神祭りを通じて、「畏れ」を語り伝えるとともに、国民は強い心の絆を確認し、大いなる安心を得てきました。現在、神社にはご利益を得るために詣でるという人が大半ですが、神社の成り立ちとは、実は抗しがたい自然への「畏れ」の念から発したという歴史を忘れてはならないのです。


祇園祭りは疫病と大地震の鎮魂の祭

今回の大震災は千年に一度と言われていますが、今から1,146年前、平安時代前期の貞観11年(869年)に貞観大地震が東北地方を襲っています。時の清和天皇様は、当時都に蔓延していた疫病と打ち続く自然災害を鎮めるため、そして犠牲者の慰霊のためにひたすら祈られ、それが京都・祇園祭のもとになったと伝えられています。


常若、中今、継承

日本の精神伝統の根底に流れる神道を表す言葉に次の三つがあります。「常若(とこわか)」、「中今(なかいま)」、そして「継承(けいしょう)」です。日本人の謙虚さは目に見えぬものに対する畏れ敬いにあると言われ、全国津々浦々の神社で守られ、常に若々しく茂った聖なる鎮守の森(常若)が日本人の信仰心と地域の絆を育んできました。「中今」とは「今この瞬間のこと」を指します。過去がどうであったとか、未来がどうなるということではなくて、今生かされているこの中間地点にある自分の命、あるいは生き方というものを、手を抜かずに一所懸命に生きていく、まずはそこから始まる、というのが神道の考え方です。そして継承とは、伊勢神宮の式年遷宮に象徴されるように、日本民族は絶えず瑞々しい状態に更新することによって民族の永遠を目指しました。
神社の神楽は、悠久の歴史の中で育まれ、それぞれの時代の担い手によって、常若、中今、継承が繰り返され、絶えず瑞々しい形で伝承されてきました。しかし、考えてみれば、ある時代、誰かによって創作され、後世へのメッセージが込められたものでもありました。今、まさに東日本大震災という未曾有の大災害に遭遇して覚醒した民族の魂を創作神楽に託し、後世へ伝えること、これこそが今に生きる私たちの使命なのではないでしょうか。
鎮魂と再生の祈りを込めた「ふくしま未来神楽」が故郷の絆を深め、福島の復興へ大いなる希望を与える力となることを念じ、私のメッセージと致します。